「建築家は建築を造らない」と言う言葉が有が、日本において建築家と言う職業の歴史はあまり古くから残されていない。と言う事は昔の日本は「建築家が建築を造っていた」即ち大工が今の建築家の役目をしていたのではないかと言うことになる。
1905年に英語教師としてアメリカより来日した William Merrell Vories と言う人物の存在は最近知った。なんとこの人は来日してからの約50年間に1600もの建物の設計をし、それらは学校や教会の建物から住宅まで今も数多く存在する。
私はこの人が建築の専門家として来日していないのに、ここまで多くもの建築物の設計と指導をどのようにしていたのか、またここまでの建築物を造る事に当たって見習うべき建築家の要素はいったいなんなのか、今回初めて訪れた彼の建築物を見て、二時間程の間に感じた事を書きます。
ヴォーリズ 六甲山荘内覧会

六甲山を登るのはこれが初めてだった。裏ドライブウェイからトンネルを抜けて山頂に向かう、急な斜面を登りながら思った、なるほどケーブルを作る所はこういう所だ。山頂途中に記念碑台が有り、そこに駐車してしばらく山を登った所に山荘が有った。
甲南女子学園六甲山学舎と木彫りのサインが木に掛けてある所に、簡単な両開きの扉を入ると山荘が見えて来た。
近づくにつれ、建物の背の高さと窓の大きさは、うんなるほどアメリカの建築サイズだと感じた。これが玄関なのかな、今入って来たのは裏口だったのかなと思わせる様な地味な玄関だったが、上を見ると舟底天井で作られていて不思議な緊張感と山荘に必要ななぜか暖かさを感じる。
玄関の扉の横には茶室の待ち合い席の様なベンチが有った。後になってこのベンチについて思ったのは、今の様に道が舗装されていない時代に、ここまで上がってくるには登山靴を履いて登って来ていたはずだから、その山靴を脱ぎ履きする為にだったのではないか。アメリカの建築家なら用意する物でもある。
玄関には西様で有るか、和様であるかが凝縮されている。扉は内開きで西洋式だったが段がつていて靴を脱ぎ入る事から和式に作られていた。

最初に寸法を取ったのはドアの厚みと高さだった。アメリカの建築のドアは標準があり、それに合う蝶番とノブが製産されているからだ。やはり玄関のドアと室内とでは厚みがアメリカ標準通り作ってあり、室外用ドアが 1 3/4" で 室内が 1 3/8" だった。ノブに関しては日本製のようだがアメリカに習って当時から製産されていたのかもしれない。
玄関近くのノブを「これはヴォーリズさんのデザインです」と案内していた人が言っていた。そして見渡すとロートアイアンのものが少し目につく。玄関に作られたフクロウの明かり、カパーのランプ、リビングに有るベンチ、果たしてこのベンチは建築家の作った物なのかは不明だが、いくつか点からこの建築物はヴォーリズさんの Arts and Craft ではないかと思った。
日本の「用の美」の流れは、アーツ・アンド・クラフトの流れから生まれたものだと私は思っているがその起源はさておき、アメリカではこのムーブメントから家具を始め建築に至るまでの様式が生まれた。パサデナの Greene and Greene は代表的な建物で、アールデコのごてごてした時代からシンプルさを追求する時代に生まれる。
その訳にローピッチの屋根、幅広のサイディング、暗めの色合いの外壁、鍛冶屋仕事、特徴有る木目を生かすなどが有る。リビングルームには節目の檜が壁に貼られていた、アメリカで使用するならナッティーパインだがここではナッティーサイプレスを使用していた。そして構造材ではないがティンバーフレームを思わせる梁やファイヤープレイスのトリム、それには殴り目の模様が施されてある。なかなかこの殴り目も印象的で、いったいどうして着けた物かしばらく考えた。ちょんなの跡ではない様だが、いずれにしてもすごく良いデザインだ。


玄関、リビングルームは天井高が10フィートで約三メーター有った、天井が高いのと窓を最大限に取って有るので広いがあまり広さを感じさせない。窓は下二尺から天井いっぱいまで有り、ガラス窓が連なる、アメリカならばグリッドの着いたフレンチウィンドーを使用するだろうが、ここではスライディング式の窓だった。すばらしい立付けの良さで今も狂いがない、ウィンドウの下の部分に Sill という雨水が入らない様に成ってある斜めの部分に引き窓、網戸、雨戸と並ぶ。窓の隙間も紙も入らない様な間隔だった、ペンキもあまり塗り替えてない様に思う。竹中工務店が施工したと来客者の方が言われていた。

普段の生活で使用せずに避暑山荘の様にたまに来て使用するのが目的で設計されていると伺える所がある。主人の部屋と言うか、マスターベッドルームというものは一般的には玄関横には作らない、そこはゲストルームなどによく成る部屋である。しかしここでは玄関の横にマスターベッドが置かれてあった、山荘だからと言って夜の侵入者を伺える様にではない。私はここにまたヴォーリズ 設計の気配りを感じた。
ファイヤープレイスの位置は外壁近くがよく使われてあるが、ここではリビングと玄関横のマスターベッドの間の壁に位置する。この事によりリビングで火を焚いている間にべッドルームが暖まると言う事に成る。

寝室の屋根の高さは1尺低い9尺だった、これはつり木による天井で作られてあるようだ。アメリカの構造ではシリングジョイスに天井を貼るので天井は同じ高さに成るが、建築構造は日本の柱構造で作られてある様に思えた。寝室の内観はクラフツマンスタイルではなく、ヴィクトリアンスタイルのマイターケイシングだった角は45度に切るマイターカットで窓の下はスツールとエプロンがつて有る。ベースボードの幅木は6インチ高の半尺、シューモルディングと言う小さなモルドで床との口を塞いである。ドアとウィンドーの付け方は柱を利用した物ではなく、開口部にはめる形で取り付けてある、アメリカ式の取り付け順になていた。天井と壁素材はアメリカではプラスターを使用するが、ここでは何か特殊なボードを使用してあった、案内の方はこの素材はヴォーリズ建築でよく使われる素材だと説明されていた。現在に至るまで損傷なく使用されている。


「クロゼットにシーダー」とはアメリカ人ならよく知られている事だが、それがここにも使用されてあった。シーダーとは米杉の事でツーンとくる臭いがする、これは防虫の役目があり虫が寄らない。アメリカのシーダーとは見た目が少し違うが臭いが同じだった。きっとこの臭いのする杉を日本で探したのだと思われる。

寝室の数は洋室が四部屋に和室が三部屋あった、バスルームは一つだがトイレが5つも着いてある。キッチンからダイニングの距離が遠い。和室に有ったアイアニングボード。
堀こたつの和室を作るのは日本人にとって寛ぎの部屋とも考えられるが、メイドや手伝いの人がこの山荘を訪れる時には着いて来ていたのかもしれない。

外観から建築を見る。軒を見ると間伐材の様な丸木か垂木として使われてある。アメリカの建築は構造材をカバーしてしまうので見えないが、日本建築は構造材は化粧材でもあるので露出している。しかしこのようにイーウ゛と言う軒には構造材が露出してあるのでこれがアメリカ式の構造なのかに本式の構造なのかが伺える。
垂木の部分はアメリカ式ではラフターと言う、果たしてこの軒は垂木かラフターかどちらとして使われているかで、はっきりとツーバイフォー建築物であるか日本式在来建築かということが分かる。しかしこの屋根はヒップルーフで識別しにくいが一カ所はっきりとこれが日本の在来建築方法で建てられてある事は分かった。

それは、垂木を支える母屋が見えていたからだ、これはラフターの時には使用しない。私が最も興味の有った所でもあるところが構造だったが。ヴォーリズ建築の他の建築物は今の所どのような構造で作られていたかは分からないが、この様に在来工法で作られてあるのであればヴォーリズ建築を支えているのは日本の建築工法で有るとも言える。
北海道開拓当時に導入されたツーバイフォー建築ははっきりと構造を知るアメリカの建築家により、時計台等の建築物が造られていたが、このヴォーリズさんの場合多くの人に支えられながら建築が進められていたのでないか。すると人柄や人間像もこういう所からも伺える。
「Crawl space」クロースペイス、クロールと言えば水泳ですがクロールは「はう」と言う意味です。日本では床下に入るには屋内からで、水屋の床下からが一般的ですが。アメリカの建築にはこのクロースペイスというはって入る所が屋外に有ります。どちらも水回りの多い箇所から入りますが、この建築物にも水屋の横で、二つトイレの並ぶ外壁の下にこのクロースペイスらしき枠が有りました。いつの段階で塞いだかは分かりませんが、中から見るとこれが床下に入る所だと言う事が分かるでしょう。

最後にアメリカの建築にはない、そしてこの建築の特徴的な所でも有る雨戸と戸袋につって。
日本人にとっては戸袋が有ると言うのは日本建築から当然の事ですが、アメリカの建築物には有りません。この建物の窓には柵が有る所以外はすべて雨戸と戸袋が着いています。この窓の枠はアメリカ式でスィルという雨が流れる斜めの部分が有り、そこにうまく雨戸を着てある。これについて私は予々アメリカ建築を日本で建てる課題の一つだと思ってきましたが、さすが日本の建具屋と巧みな大工によりこれがあっさり実現されてある。この部分の加工詳細につては建築家の指示ではなく、職人にまかせていたのではないかと思う。
テラスにでるとスウィングする大きな戸袋が有る。これを見た時「うわーうまいこと作ってるなあ」と感心した。思うに、これは建築家がこの細工をしたくて作った物ではなく、これだけは譲れない、そしてこれだけは妥協出来ないというこだわりの結果生まれた物であろう。
それはリビングルームの大きな窓に有る。北側を向くこのガラスは室内から一面に連なり外が眺望出来る。少しの壁おも作りたくないという彼のこだわりであろう。彼のこの建築に対する思いをくむには先ずこのリビングからの外の景色を楽しむ事だろう。
そして何より素晴らしかったのは、保存状態のとっても良い建物と言う事でした。当時の建築意識が存分に残されている物で、日本人の建築家育成の歴史としても歴史的建築物として保存される事を望みます。
